あゆみ

柔 道 会   結成:昭和27年 5月
羽村市体育協会 加盟:昭和38月10月

 戦前、羽村市の前身である西多摩村でも一部の先輩達により柔道は続けられてきましたが、戦争により一時中断を余儀なくされた。
 戦後、社会不安と混乱の中、青年学級として柔道も復活され、昭和27年5月3日、招魂社の例祭(現在の護国神社)で奉納武道大会が催され、これを契機に西多摩村柔道会として設立された。

 西多摩村柔道会の設立には、畑中幸作氏、豊田正作氏、平井芳治氏、石田親欣氏の尽力があった。
 当時の会員は20名弱で、道場も無く中学校(現羽村西小学校)の教室を借り机や椅子等を廊下に出し、教室に畳を敷いて稽古をしていた。

昭和31年10月、町制がひかれ、西多摩村柔道会を羽村町柔道会へと改名。
 翌年、中学校の移転に伴い、講堂の一部を使用して稽古ができるようになったが、畳の上げ下げをしての稽古であった。

昭和34年4月、中学校の改築工事のため、新たな柔道場を探していたところ、閉館した映画館を貸していただけることになり、畳の上げ下げなしで稽古ができるようになった。
 道場探しで苦労すると同時に、町当局に固定した道場をと陳情し続けた結果、関係者一同のご尽力により、現羽村一中に第二体育館が完成し、社会体育施設としての使用が認められ、第二体育館で稽古ができるようになった。

昭和38年10月、羽村町体育協会が設立。
 同年に加盟してからは、会員数も増え、より充実した活動が出来るようになり、 東京都の大会で入賞する選手も出てきて、羽村町柔道会の存在も知れ渡るようになってきた。

昭和56年5月3日、初めてスポーツセンターの柔道場を使用し、羽村町スポーツセンター落成記念大会兼護国神社春季柔道大会を開催。これを契機に週3回の稽古のうち、日曜日だけ、この道場を使用することになり、その後、 週3回使用することができるようになった。

昭和57年11月3日、羽村町柔道会創立30周年記念柔道大会を開催。西多摩地域の道場8団体の参加により熱戦が展開された。大会には全日本柔道連盟強化選手の中西英敏選手 を招待し、模範演技として3人掛試合を披露していただく。

平成3年11月3日、世界柔道選手権重量級チャンピオン小川直也選手 を招待し、羽村市制祝賀柔道大会を青梅線沿線の各道場、警察署、高等学校の参加を得て開催。
 又、市制により羽村町柔道会を羽村市柔道会と改名。

平成14年11月3日、市議会代表の議長及び教育委員会、体育協会々長を招待し、羽村市柔道会創立50周年記念大会を開催。近隣市町の各柔道団体からの出場選手により熱戦が展開された。

平成24年5月3日、羽村市柔道会創立60周年記念大会を開催。世界チャンピオンの棟田康幸選手を招待、得意技や技のかけ方など、子供たちを指導していただく。

平成30年11月15日、グランドスラム大阪大会及び令和1年8月18日、世界柔道選手権東京大会の事前キャンプに羽村市を訪れていたキルギス共和国柔道男子チームと交流会を行う。短時間であったが、打込みや乱取り練習を一緒に行い、子どもたちにとても良い経験となった。

令和2年・3年・4年は、新型コロナウィルス感染症の感染拡大により、羽村市柔道会主催の大会や地域の柔道大会が中止になる。

令和4年11月3日、羽村市柔道会創立70周年記念タオル等の準備をし、創立70周年記念柔道大会を予定していたが、新型コロナウィルス感染症の感染拡大防止により中止。大会は開催できなかったが、会員のみで練習をし、練習後、柔道会の活動に貢献された方に感謝状を贈呈。

表 彰
昭和61年 5月 西多摩郡体育協会より体育優良団体として受賞
平成 元年 5月 東京都体育協会より体育優良団体として受賞
平成 6年 8月 京都教育委員会より体育優良団体として受賞
平成12年 7月 羽村市より青少年健全育成活動の優良団体として受賞